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君が消えるとき(前編)

著者:田島(文芸創作同好会) 窶柏l間ってさ、いっつも何かと戦ってきたんだよ。昔は自然と戦ってたんだけど、この勝負は十九世紀には人間の勝ちってことで決着がついて、それからしばらく、敵がいなくなった人間はどんどん膨張していった。それが今、新しい敵が現れたんだよ。戦う相手が。誰だと思う? それはさ、膨張しすぎたこの、人間社会だよ。これからは僕ら個人が、社会を相手に戦っていかなきゃならない時代なんだ。なのに、一人ひとりの人間は社会が大きくなりすぎたせいで、自分には何も出来ないって信じて、全部受け入れてる。いじめも格差も貧困も暴力も戦争も、まるで台風や地震なんかの自然現象みたいに、仕方ないって諦めてる。戦うことを忘れてるんだよ。でも僕は違う。僕は戦って、社会に勝つよ。
 窶狽ナ? 勝ってどうすんの? 独裁者にでもなるわけ?
 窶泊S世界を平和にするんだよ。


 青木と初めて会ったのは、大学に入ってすぐの、学部の新歓コンパだった。新入生がそれぞれ自己紹介をした時、胸を張って「夢は世界平和です」と宣言した男、それが青木だった。場の空気が一瞬止まった。当然誰もがウケ狙いだと思った。しかし青木があまりに堂々と、しかも顔に純真と書いてありそうなほど純真な顔つきで言うもんだから、誰ともなく始まった拍手はとてもとても大きかった。僕はかけっこで二等になった子供が一等の子供を見るような目で、青木を見上げていた。


 青木曰く、文学には世界を平和にする可能性があるそうだ。だから僕は文学部に入ったんだよ。目を輝かせながら青木は語る。長瀬君、君は? 何で文学部に入ったの? この時青木は僕にどんな返事を期待したのだろう。まさか、僕も世界平和を目指すために文学部に入ったんだよ、気が合うね、なんて言うとでも思ったのだろうか。僕は冷たく、別に、なんとなくだよ、そう言って青木から目を背けた。
 昔から、僕は他人が夢や目標を語るのを聞くと、強い不快感に襲われた。自分には無くて他人にはある。嫉妬。手に入らないもどかしさ、焦り。自己嫌悪。それは一種のコンプレックスとなって始終僕を悩ませた。そのコンプレックスが最も強烈に僕を苛むのが、青木といる時だった。
 青木は本気だった。青木がどう本気か、傍から見ている僕には上手く説明出来ないが、少なくとも僕が出会った同年代の人間の中で青木ほど博識で、機転が利いて、前向きに努力し続けるやつはいなかった。
 青木には不思議なほど人を惹きつける何かがあった。それは大海を行く鯨の背に刻まれた傷を見た人間が海の過酷さや壮大さや美しさを思うのに似ている。だから、青木は常に主人公だった。周りの脇役たちは青木の命運を手に汗握って見つめ、それで喜んでいた。
 だからこそ、信じられなかった。そんな青木が、ヒキコモリになるなんて。


(二)
 青木が、ヒキコモリになった。
 マジで!? 病気じゃないの? 身内に不幸があったとか? 病んだ? がんばりすぎだって。疲れてたんだよ。しょうがなくない? そのうち、戻ってくるって。
 主人公を失った脇役たちは振り向きざまに自分たちの物語を歩き始めた。
 ああ、そうか。僕はいつかの青木の言葉を思い出した。全部、受け入れるんだ。でも許容じゃない、これは否定だ。青木、お前もう消されちゃったよ。
 二週間もすると、そもそも青木なんていなかったんじゃないかと思えた。


 汗ばんだ背筋を時折冷たい風が刺激して、ああ、秋が来るんだなと思い始めた頃だった。僕は好きな人が出来た。小林茜、という同じ文学部の一回生。でも、特に無いと思う。僕が彼女を好きだという理由も、証拠も。ただ言えるのは、彼女は僕が築いた現在という世界の主要な登場人物で、僕はその彼女が突然消えてしまったりしたら嫌だし、寂しいと思う。僕はこの、現実の先で待ち構える落とし穴に気付いてしまった不快を、「好き」という曖昧な言葉に置き換えた。
 だから彼女が僕の世界から零れ落ちてしまわないように、僕は告白することを決意した。
 どうでもいい一日が終わった、夕暮れの自転車置き場。彼女の自転車を挟んで、僕は生まれて初めて人に好きだと言った。
「俺、好きなんだ。小林のことが」
 その時小林は判事が淡々と述べる判決を聞く被告のような顔をしていた。
「俺と付き合って欲しい。なあ、小林」
 小林は徐々に俯きながら、わざとらしいどもりを繰り返して小さく、ごめんと呟いた。
「あたし、他に好きな人がいる……」
 これは、フラれたのか? 真綿の棍棒で殴られたような衝撃が、下腹部の辺りからじわじわと広がった。僕は自分から落とし穴に飛び込んでしまったようだ。
 夕べ何度も練習した「そうなんだ。ごめんな、急に。でも、これからもずっと友だちでいてほしい」、が出てこない。僕の意識は片肺で飛ぶ飛行機のように、危うげな旋廻を繰り返すだけだった。
「あたし……青木君が好きなの」
 青木?僕の意識が小林の前に引き戻された。青木……青木。僕の頭は青木という単語が持つ意味を、じっくりと反芻した。ヒキコモリ。それが青木だ。
 どこかで上がった声が、僕の頭に届いた。
窶萩魔キな!
 質量を持った声は徐々に大きくなり、僕の頭を満たしていった。僕は怒りに歪んだ顔を小林に向けながら、その声に聞き入っていた。

 挿絵:美術研究部さん

 

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