著者:智東 与志文
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その名前と、今さら再会するとは思わなかった。しかも、こんなところで。
職員室の奥にある休憩室にいるのは、典雄の他に若い男性教諭が一人だけだった。
「なぁ、足立光宏って知ってるか?」
「はい?」若い同僚は、欠伸をかみ殺すようにしながら返事を返した「知りませんね。誰ですか?」
「全然?」
「えぇ、さっぱり。有名な人ですか?」
彼が「その名前」を覚えていないのも無理もない。あの頃から十五年以上が経った。その間に、典雄もいくつかの高校を転々と移り、今では、頭に黒いものは残っていない。そう、それは遠い昔の出来事なのだ。
「昔は、有名人だったんだ。昔は、な」
典雄は、今の言葉の意味が分からずにいる後輩の視線を無視し、天井を仰いだ。頭の中は、自然に当時のことへと遡っていく。
「本音を言うと、監督、投手を続けたくないんです」
そう足立が言ったのは、彼がドラフト会議で指名をうけ、プロ野球チームに入団することが決まってから、ふた月ほど経った後のことだった。粉のように降る雪が目障りなグラウンドの中、足立の後輩にあたる部員たちがランニングを続けている。二人は、防寒用に造られた粗末なテントの下、パイプ椅子に座っていた。
「どういうつもりだ」
「僕は、投手向きの性格じゃありません。プロでは通用しないでしょう」
典雄は、足立を見た。髪の毛は、部にいた時より少し伸びた様に見える。だが、練習は相変わらず続けているので、身体にたるみはない。精悍な顔つきも、去年の夏のままだ。
「おいおい、自信を持てよ。お前は、この学校を甲子園まで連れて行ったんだぞ?」
だが足立は、納得がいかない、といった様子で答えた。
「ですが、監督。僕の肩が良くないの、知っているでしょう? こんな調子じゃ、一年だって投げられませんよ」
「………」
「それに、甲子園に行けたのも、僕一人の手柄じゃありません。第一、運に味方された部分も多かったじゃないですか」
典雄は、足立の言っていることが正論であることを知っていた。特に、肩に関してはどうしようもなく、いつ壊れてもおかしくないのではないかと、去年から気が気でなかったのだ。
「だが、球団の方々は、お前を投手として高く評価してくれている」それでも典雄は、こう言う他になかった「お前には、投手が一番お似合いだよ。だから、自信を持て。まずはやってみるんだ」
典雄の言葉に、足立はようやく、首を縦に振った。
挿絵:美術研究部さん