ナビゲーションをスキップ

web RUC/Ritsumeikan University Coop Canpus Communicatuon Magazine

Peace Now!沖縄2008(2)


忘れない過去、伝えよう未来へ


沖縄の現状

 沖縄県といえば白い砂浜、青い海、おいしい食べ物などが連想され、観光、リゾート地としての沖縄県が頭に浮かびます。しかし、その華やかさの裏では太平洋戦争の傷跡がまだ残っていて、多くの問題を抱えている県です。

 初日に私達が訪れた普天間飛行場は宜野湾市に位置し、面積4805千平方センチメートルの広さを持つ米軍の基地です。普天間飛行場の施設は、第3海兵遠征軍第1海兵隊航空団第36海兵航空軍のホームベースとなっていて、ヘリコプター部隊を中心として71機の航空機が配備されています。この施設は、普天間海兵隊航空基地隊によって管理運営され、施設内には、滑走路、格納庫、通信施設、整備・修理施設、部品倉庫、部隊事務所、消防署があるほか、PX、クラブ、バー、診療所の福利厚生施設などがあります。

 そしてこの飛行場で問題になっているのは、ここでおこなわれる飛行機やヘリコプターの離着陸訓練です。

 この訓練によって騒音の被害が出ているだけでなく、飛行機の墜落による事故も多発しています。

 最近の例だと、2004年8月14日に普天間飛行場からすぐ近くにある沖縄国際大学に、普天間飛行場から飛び立った飛行訓練中のヘリコプターが墜落しました。幸い、大学が夏休みの期間中で学生がほとんどいなかったので死亡者はいませんでしたが、この事故は沖縄県民が米軍基地の存在の危険性を考える上での大きなきっかけとなったと言えます。

 しかし、ただ単に米軍基地がなくなってしまえばいいという考えはできません。その理由は、沖縄県が米軍に基地の土地を貸すことによって手に入る資金が沖縄県の大きな収入源となっているからです。普天間飛行場の場合、年間賃借料は61億8300万円にもなります。また、他の地域では米軍基地のおかげで栄えた街もあり、基地付近にはアメリカ人向けの店舗が立ち並んでいます。基地の存在に不満を持ってはいますが、もし基地がなくなってしまったら街の収入源がなくなってしまうことになります。米軍基地問題は一筋縄ではいかない難しい問題です。沖縄県ではこの問題に非常に頭を悩ませています。

 沖縄県には太平洋戦争で沖縄を舞台に米軍と戦った際に、負傷した日本兵を収容していた洞窟(ガマ)が今でも残っています。有名なひめゆり学徒隊が介護をしていた場所で、実際にガマに入り、かつてここで数多くの日本兵が死んでいったと考えると、改めて戦争の悲惨さを感じられました。ガマの中では、米兵が放り込んだ爆弾によって、吹き飛んだドラム管が洞窟の天井に突き刺さっているという恐ろしい光景も見ることができます。沖縄県の裏では、表のリゾート地からは想像もつかない現状が存在しています。


体験者の話
 沖縄戦が始まるとすぐに私たちは学徒隊としてガマに配属され、戦場のど真ん中に立たされることになりました。ガマの中には次から次へと負傷した兵隊さんが運ばれてきましたが、すぐに中は人で埋め尽くされ、うめき声と異臭の漂う恐ろしい空間になっていきました。
 何より1番恐ろしかったのはウジです。傷口に包帯を巻いているとその中で繁殖してどんどん大きくなり、兵隊さんの体をどんどんむしばんでいきました。
 戦争は本当に恐ろしいものです。私は学徒隊で生き残った数少ない1人として、これからも人々に戦争の恐ろしさを伝えていかなければならないと思っています。

 

今まで知らなかった沖縄
 沖縄県では米軍の基地問題をめぐって市民の戦いが今も続いています。先ほども紹介した普天間飛行場は、周りに大学や住宅地が多かったために市民の反対が強く、政府も米軍への交渉を試みていました。しかし、米軍の出した答えは基地を撤退させるのではなく、違う場所に移動させようというものでした。そこで移転場所として決まったのが辺野古(へのこ)です。ここはエメラルドグリーンの海が特徴でジュゴンが度々見られることで有名です。もし、辺野古に基地が建てられてしまったら、この美しい海が潰され、ジュゴンが基地の飛行機の騒音に怯えて近寄らなくなり、海辺にある彼らの主食である海藻類が食べられなくなってしまいます。そうすると辺野古の生態系が大きく変化します。当然のごとく市民は移設に反対しましたが、市長が独断で移設を認めてしまい、市民の戦いが始まりました。
 移設予定地の前に座り込んで工事を妨害して、移設をやめさせようとしています。妨害をするといっても、冷静に話し合いをすることによって穏便に済ませたいというのが市民の気持ちです。しかし、1度工事側が納得して帰ったかと思いきや、真夜中の市民がいない間に忍び込んで勝手に工事を始めてしまうということが何度か起こりました。それでも市民は、今もその怒りをぐっとこらえて座り込み、話し合いをしています。けれども、工事は移設へ向けて少しずつではありますが着々と進んでいっています。

 

 参加者の感想

 

 僕は今回初めて沖縄に行ったのですが、やはり最初はリゾート地としてのイメージが強くありました。しかし、実際にさまざまなところへフィールドワークに行き、決して表には出てこない沖縄の現実を知ることができました。政策科学部 2回生 T.S

 

 5日間は本当に充実していました。朝から夜まで時間を使って沖縄の平和について学びました。普段生活していて友だちと平和について真剣に語ることはほとんどないので、いろんな学生と意見交換ができてとても楽しかったです。国際関係学部 1回生 A.Y

 

 ピースナウに参加してみて、今ある平和は昔の悲劇の上に成り立っているのを改めて実感でき、この過去を伝えていく必要があると思いました。小さなことでもいいので、自分のできることをしていこうと思いました。情報理工学部 1回生 I.M

 

 このピースナウ沖縄に参加して、沖縄で起こった戦争の詳しい事実と、現在の沖縄が抱えている様々な問題を学ぶことができました。
 4泊5日という期間はとても長いように見えますが、沖縄について学ぶにはあまりに短かったので、独自に勉強して沖縄についての知識を深めたいと思います。理工学部 1回生 S.Y

 

終わりに
 今回のピースナウ沖縄を通じて、私達は現代の普段の生活ではほとんど話をすることがない「平和」ということについて真剣に向き合う良い機会になりました。毎日フィールドワークをして沖縄のリアルな現状を知り、そのたびにほかの学生と意見を交換し合い、すべてが衝撃的で刺激的でした。
 私たちは戦争の体験者から話を聞くことのできる最後の世代だといわれています。私達ができることは、多くの戦争体験者から話を聞いて、いかに後世に伝えていけるかを考えていくことだと思います。
 みなさんも観光地として沖縄に遊びに行くだけでなく、沖縄を違う角度から見てみませんか?

 

 

前へ戻るSITE TOP