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Peace Now! Okinawa 2009

 大学生協では毎年、平和を広めるために、広島・長崎・沖縄で、学生の組合員を中心に「Peace Now!」をおこなっています。私たち立命館の生協学生委員会は今年、「Peace Now! Okinawa」に参加してきました!そこで、私たちが5日間で学んできたことを1日ごとに振り返ってみました。
国際関係学部 1回生 Yさん

 

1日目★沖縄戦中 ~オキナワをみる~

 1日目は「沖縄入門~オキナワをみる~」というコンセプトでフィールドワークをしました。コンセプトの通り現在の沖縄を見るということで、いろいろと見て回りました。
 まずは嘉数高台公園です。そこから今話題の普天間基地を見ることができ、沖縄に基地問題というのは切り離せないのを感じました。また、基地問題が早期解決に向かってほしいと思いました。
 次に北谷(ちゃたん)に行き、アメリカンビレッジで夕食を取りました。アメリカンビレッジにはたくさんの米国軍人がおり、また、ドル紙幣も使えるので、日本というよりはアメリカにいるような感じがしました。北谷には昔、米軍基地があったのですが、アメリカから返還された土地を使ってこのような街作りをしたそうです。
 北谷では米軍基地の沖縄にもたらす良い影響を見ることができました。

 

2日目★沖縄戦中 ~たどって感じるそれぞれの想い~

 2日目は沖縄戦中についてです。まずは渡具知ビーチに行きました。ここは6万人以上のアメリカ軍が無血上陸した場所です。当時の写真と見比べて、変わっていない部分もあり、考え深い場所でした。次は前田高地です。ここは日本軍とアメリカ軍の戦闘において激しい戦闘が繰り広げられた場所です。ここには前田地区の住民が避難した壕や慰霊碑もあります。次に、沖縄戦の証言を聞きました。証言してくださったのは白梅学徒隊として動員された女性です。当時の状況やどのように教育されたのかをお話ししてくださいました。僕たちは、戦争の証言を聞くことのできる、最後の世代といわれています。戦争を経験した方の証言は、博物館などのパネルを見るだけでは伝わらないものや細かい状況まで鮮明に伝わってきます。証言を聞いたあと、僕たちはガマに行きました。ガマは、沖縄の言葉で洞窟やくぼみという意味で、米軍からの攻撃から住民を守る避難壕として使われました。ここでは実際にガマに入り、追体験をすることができます。中はヘルメットや軍手なしで入るととても危険で、足元も非常に悪いです。また、現在はライトで照らされていますが、当時はろうそくしかありません。当時使われていた薬の瓶なども残っています。最後に摩文仁に行き、平和祈念資料館や平和の礎という、沖縄戦で亡くなったすべての人と15年戦争で亡くなった沖縄出身の人の名前が刻銘されている石碑があります。ここにはキーザバンダという、多くの人が自決した断崖絶壁の崖もあります。

 

3日目★見て、聞いて、感じる。沖縄の真実

 3日目は、まず嘉手納基地に行きました。私は、ここに来るまで基地をなくした方がいいという考えを持っていたのですが、実際に基地内で働く人を見たり、この基地が存在するからこそ生活ができる人もいるということを聞いたりして、基地をなくした方がいいという考えに疑問をもちはじめました。基地があることで困る人、基地があることで生活の収入を得ている人、両方が存在することを考えると、この問題の解決はとても難しいと感じました。
 次に、宮森小学校に行きました。1959年6月30日に整備不良の米軍ジェット機が宮森小学校に墜落しました。それによって児童11名、一般人6名が亡くなりました。戦争は終わっているにもかかわらず、米軍が駐留しているからこそ起こってしまったこの事件。私たちは幸運にも、この事件の真相を当時宮森小学校の教師をしていらっしゃった豊濱さんにお話を聞くことができました。私は豊濱さんのお話を聞き、当時の状況の悲惨さに驚きました。また、豊濱さんは当時の話を50年間しなかったそうです。私たちは、あまりの当時の悲惨さに今まで口を開けなかった豊濱さんの想いをしっかりと受け止め、ここで聞いたことを広める義務があると感じました。

 

4日目★平和のかけらをもっと集める日

 4日目のフィールドワークは、それぞれ好きな場所を選択でき、私は那覇市内へ行きました。まずは対馬丸記念館です。ここは対馬丸の事件を取り上げた記念館です。この事件は、学童疎開のために児童が乗った船を米軍に攻撃され、多くの児童が亡くなったり遭難したりした事件で、ここではその事件の様子や疎開の真実について知ることができました。次は泊小学校に行き、空襲の跡を見てきました。次は観光地でも有名な首里城です。首里城は、日本軍の司令部となっていました。近くにはトーチカもあり、戦争の爪痕が残っていました。最後は国際通り、平和通り、新都市です。ここは戦後復興で努力した街です。しかし、道を一本変えると、様子ががらりと変わります。当時の様子を知ることもできます。この1日で、戦前から戦後のことを学ぶことができました。

 

5日目★平和のかけらを発信する日

 5日目は全体のまとめの時間でした。このPeace Now! Okinawa 2009を通じて感じたことを同じ班の人や京滋・奈良地域の人と交流をして,平和について自分たちで何ができるのかについて話し合いました。その中で平和の尊さと自分たちに何ができるのか、そしてできることを少しずつでいいから行動に移すことの大切さを共有しました。基地問題については沖縄の人ばかりではなく、同じ日本に住むものとしてできることをして解決への道を作らないといけないと感じました。また、互いを憎まずにまず理解しあうことの重要さも感じました。そしてこのPeace Now! Okinawa 2009を通じて学んだことを近くの人に広げること、それが一番大事なのではないかと思いました。
 今回学んだことを自分の中で受け止めしっかりと平和な世界を作っていきたいです。

 

 

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