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考えよう守ろうエイエンノヘイワ~わたしたちにできること~

PEACENOW

大学生協の平和活動

第二次世界大戦中、戦争に駆り出されたり、軍事工場で働いたりしていた学生がたくさんいました。戦争が終わり、平和になってからも、校舎の焼失や食糧不足などにより、大学生活どころではない状況にありました。 戦後、学生や教職員達は平和に対する強い想いを抱きます。悲劇を繰り返さないために、自分たちができること。それは、戦争の恐怖を忘れないために、これからの未来を担う子供たちへと、伝えていくことなのです。よりよい生活のために、大学生協は平和であることを大前提とし、活動を始めました。

PEACENOWFor Peace and Better Life
─よりよき生活と平和のために─

戦争を経験して、自分たちの経験を未来につなげようと考えたのだね。でも、大学生協としてできることって何だろう?

Peace Now!舞鶴に参加しました!!!

Peace Now!舞鶴では舞鶴での戦争の被害と加害、両方の側面からその悲惨さを知ることができます。事前学習を踏まえたうえで、バスによる移動でフィールドワークをします。その際にはグループでの感想交流など、自分たちの考えを整理する時間もしっかりあります。他大学の学生とも交流できますし、一泊二日での活動なので、少し修学旅行のような雰囲気も味わうことができます♪

(京都/舞鶴)

近畿百景No.1美しすぎる景色に秘められた戦争の真実とは…?

戦争と舞鶴

語り継ぐ平和

第二次世界大戦が終結した、昭和20年、海外諸地域には推定約600万人の日本人が取り残されていました。彼らは祖国への帰国を切に願っていました。このような海外日本人が日本内地へ帰国することを「引き揚げ」といいます。 若狭湾に湾口を開いた舞鶴湾は、舞鶴港という天然の良港を形成しており、終戦から13年間「引揚港」として延べ346隻の引揚船が入港しました。引き揚げ業務は国の終戦処理の最も重要なものの一つとされていたこともあり、「引き揚げのまち・舞鶴」の名は全国に広がりました。そして舞鶴市では引き揚げと抑留を忠実に次世代に伝え、恒久平和の大切さを語り継いでいくために、昭和63年に舞鶴引揚記念館を開館しました。

大江山ニッケル鉱山

外国人強制労働の真実

ニッケル鉱山で必要としていた労働力を補うため、囚人や学生に加え、たくさんの外国人捕虜が働かされました。鉱山での強制労働は過酷なものでした。現在も被害者やその遺族による国や企業に対する裁判が行われています。

エバンスさんの記録

エバンスさんは第二次世界大戦においてイギリス人捕虜として大江山ニッケル鉱山で労働していました。当時の過酷な生活は収容所日記として記され、多くの反響を呼びました。舞鶴では、マザーグースの会の方々が子供から大人まで理解しやすいよう、紙芝居で日記をもとに日本の戦争加害面を語り継いでいます。

浮島丸事件

1945年、青森県下北半島一帯の朝鮮人労働者とその家族、乗組員を乗せた海軍特設輸送船「浮島丸」が、釜山港へ向け出港後、連合国軍司令部の命令によって運行が禁止され、急きょ舞鶴港へ入港しましたが、船は下佐沖300mで爆発し沈没、多くの人が亡くなりました。これほど大きな事件だったにも関わらず、当時まったく報道がなかったことなど、いまだに多くの疑問点が残っています。

浮島丸殉難者追悼の碑

この事件を忘れまいと、「浮島丸殉難者追悼の碑」が建設され、毎年事件の起こった8月24日に、慰霊祭が行われています。日本人だけでなく、朝鮮学校の生徒や韓国の関係者の方々も参加されており、二度とこのような悲劇が起こらないこと、そして、この想いが語り継がれることを願っています。

─引揚げ─

第二次世界大戦中外国で暮らし、終戦後、そのまま取り残されてた日本人を安全かつ迅速に日本へ帰還させることを引揚げといいます。しかしすべての人が帰還できたわけではなく、外国に残らざるを得なかった人、引揚船の中で亡くなった人も多くいました。また帰還した人にも、様々な困難がありました。

─シベリア抑留─

日本が降伏した後、ソ連の独裁者スターリンは、日本人捕虜約65万人を収容し、強制労働を負わせました。最短で1年半、最長で11年間にわたる過酷な環境での労働は、約6万人もの命を奪いました。帰国後も、多くの抑留者に差別などの問題が残り、いまだに大きく残り続けている問題もあります。

舞鶴とどう関係しているの??

舞鶴には終戦後のシベリア抑留と引揚げに大きく関わりがあります。特に舞鶴港は全国に10数港ある引揚港の一つとされ、大きな役割を果たしました。満州に移り住んでいた開拓民や、シベリア抑留者の人々など計66万4531人を受け入れました。1950年にはシベリア抑留者の引揚げがままならないまま中断してしまいますが、その中で舞鶴港は引揚げを再開、国内唯一の引揚港として引揚者を受け入れ続けました。1960年、舞鶴では平和への願いを込め、引揚げの地を見下ろす丘の上に、引揚記念公園がつくられました。

Peace Now舞鶴2014参加者の声!

文学部2回生A.Yさん

身近な地域から平和について考えるために京都府舞鶴市を中心に戦地を巡り、現地の方のお話を聞きました。フィールドワークを通して、日本の被害と加害の両方から戦争の悲惨さを知ることができました。また、人間らしく生きるとはどういうことなのか、自分が考える平和とは何か、改めて考えさせられました。みなさんも平和・国際について是非考えてみましょう。

産業社会学部1回生T.Kさん 

〝平和〟とは誰もが考えられるテーマです。老若男女、国籍関係なく考えを共有することができる広く深いテーマです。しかし、戦争について教科書で学べることはほんの一部です。戦後約70年、戦争経験者から直接お話を聞ける機会は減ってきていますが、語り部の方はたくさんおられます。戦跡の残る地に足を運び、その地の空気を吸うことこそが戦争について考える第一歩だと思います。

平和メニューを食べよう!!

現在、私たちは毎日お腹いっぱいご飯を食べることができます。しかし約75年前に始まった第二次世界大戦中、日本では贅沢が禁止され、月日が経つにつれて食卓から白米が消えていきました。そこで白米の代用食として食べられていたのが「すいとん」です。これは成形した小麦粉を水練りした生地を汁で煮込んだものです。

なかなか戦時中の食事情を考えることがない今、立命館生協では「すいとん」を販売します!期間は12月1日~5日。場所は、衣笠キャンパスは存心館地下食堂。BKCはユニオンカフェテリア1階です。価格は84円!ぜひ戦争当時に食べられたすいとんを食べ、食べ物への感謝を思い出してください!

不戦の集い

5P-p7.jpg平和な現代の日本で生きている私たちは、当たり前のように大学で勉強することができます。しかし第二次世界大戦中、兵力不足に伴い、若くて体力のある学生は貴重な戦力として出征させられました。そして立命館大学も学生を戦地へ送り出していました。そのため多くの学生が徴兵や勤労奉仕のために尊い命を失ったのです。「不戦の集い」は、戦争で失われた学生へ追悼の誠を捧げるため、大学は「二度と学生を戦地に送り出さない」、学生は「二度とペンを銃に持ち替えない」という反戦・平和の誓を新たにするために毎年行われます。

不戦のつどい集会

  • 衣笠 12月4日(木) 12:25~12:55
    @平和ミュージアムわたつみ像前
  • BKC 12月5日(金) 12:25~12:55 
    @嵐の中の母子像前

ブックコーナー

平和メニューの販売、不戦の集いなどの平和を考える機会が増えるこの時期、衣笠キャンパスはふらっと、BKCはリンクショップで平和をテーマとしたブックコーナーが登場!実施期間は11月24日~12月下旬。最近よく報道されている集団的自衛権、イスラエルとパレスチナの紛争についての本などが紹介されています。たくさん本を読み、世界で起こっている平和への問題を考えてみましょう。

講演会のお知らせ

今年の7月1日に集団的自衛権行使を容認することが閣議決定されました。それに対し、かつての戦争を経験した人々や、若い人たちが抗議や不安な声を上げています。「日本は戦争に参加し、戦地へ行かなければならなくなるのか?」そのような不安が若い人たちのなかで広がっているのです。しかし今の日本では憲法第9条により戦争の放棄が定められています。では現行憲法の下で、集団的自衛権は認められるものなのでしょうか。12月1日に弁護士の毛利崇氏をお招きし、集団的自衛権についての講演会が開催されます。場所は衣笠キャンパスで行われ、BKCでもテレビを通じ、生中継で講演会を聞くことができます。

 

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