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2019.11.11

2019年10月29日(火)小川先生のトークイベントレポート

ニュース

雨が降りやんだ日の夕方、文学部の小川真和子先生と4名の学生を迎えて『海をめぐる対話ハワイと日本』(塙書房)の刊行記念トークイベントが開催されました。

昨年は日本人のハワイ移民150周年という年でした。なんとかそれに間に合わせたいと思って昨年中に書き上げたのがこの本です。なぜ海をめぐる対話をテーマに選んだのかというと、これまでのハワイ日本人移民の研究では、日本からハワイに移民して農業に従事していた人ばかりが取り上げられていて、とにかくハワイで苦労しましたという悲壮感が漂う話が多いのです。さとうきび畑の仕事は大変なんですね。ところがハワイの海に生きていた人々の物語にはそんな悲壮感がない。そこに海の民の魅力があると思い、取り上げることにしました。ハワイで水産業に携わってきた日本人が、産業のパイオニアとして活躍していた様子について、まず英語でSea of Opportunity(University of Hawai'i Press)、つづいて日本語で『海の民のハワイ』(人文書院)を書きました。
私は研究者なので、研究書として書いたところ、一番読んでほしいはずの家族になかなか読んでもらえませんでした。難しかったからです。でも、高い山ほど裾野が広いという言葉があるように、研究者を対象とした研究書だけではなくて、一般書もたくさんないと、理解の幅がなかなか広がらない。

研究書を書くということは、学会に殴りこみをかけるようなものです。これまでの学説に挑戦する。でも一般書は違います。 本を書くとき、まず伝えたい人がいるかどうか、そしてその伝えたい人は誰なのかということを意識します。かつて私が在外研究で滞在していたテキサス大学のある先生が、学内のタワーで起きた銃乱射事件を扱った歴史の本を、近所の住民や学生たちと一緒に書きました。その先生は、歴史はみんなのものであり、誰もがわかるように書いたもの、それがパブリックヒストリーだと主張していました。要するに普通の人が読める歴史という意味です。
私もその方法を取り入れてみようと思い、まず始めたのはフィールドワークです。これまでも私は、歴史の舞台になった場所を訪ね歩いています。その場所の空気をじかに感じることは、とても大切だと思うからです。また学生の視点を取り入れたいということで今回、フィールドワークに学生を参加させることにしました。
ただ参加する学生に対して条件があります。まず体力的に丈夫であること、そして聞き上手であることです。スピーチ上手である必要はありません。また、気難しい私の相手が出来る忍耐力も必要です。そこで思い浮かんで声をかけたのが津田朋佳さんと長谷川葵さんでした。
ハワイには津田さんと長谷川さんを連れていって、9日間調査をしたのですが、関係者の話を聞いたり写真を撮ったりするために、朝から晩まで車で1日中走り回りました。

ハワイでは、最初、ハワイ島に行きました。いきなり標高約4200mのマウナケアに登って、ものすごく寒い思いをしました。ここは冬になると雪も降るのですよ。ハワイ島というのは火山の島で、私たちが訪ねたあとで、大噴火がありました。また日系人のお墓や、日本人が建てた神社にも立ち寄りました。その後、ホノルルに移動しました。そこには金刀比羅神社があります。この神社に、私はこれまで何度も行っているのですが、今回、若い二人を連れていったら、宮司さん夫婦はとても喜んで、たくさんお土産をくれました。どこでも学生を連れて行くと大歓迎でした。ハワイの皆さんにとって、若い人が自分たちに興味を持ってくれるのが、何よりうれしかったようです。
ハワイでは自炊をしたのですが、ハワイで買う牛肉は、とても固くて食べにくくて一人三切れ、みたいに決めて、ノルマのように津田さんと長谷川さんに食べさせました。食後の皿洗いも二人の仕事でした。
また山口県の周防大島には、自ら申し出てくれた春山日菜さんと西山美紀さんと一緒に行きました。周防大島というのはハワイに多くの移民を送り出した土地です。今でも住民は親戚にハワイ移民がいることが多いのです。その関係で、ハワイから周防大島の小学校に二宮金次郎像が送られてくるなど、いろんな交流があります。またこの時、私は現地のお寺に招かれて、ハワイ移民について講演したのですが、島のお年寄りたちがたくさん来て、おしゃべりしたりスマホをいじったりせず、一生懸命私の話を聞いてくれました。
周防大島への道中は、運転手の私が眠くならないように、交代で助手席に座った学生がおもしろいことをしゃべり続けるのが義務で、居眠り禁止でした。そこでいろいろな話をしたのですが、車を運転しながら延々、Jポップの話を聞かされたおかげで、私はすっかりその方面に詳しくなったりしました。
 このようなフィールドワークは本を書くためのほんの序章で、帰ってきてからいよいよ本番である原稿の執筆が始まります。でも、私の最初の原稿はとても読みにくくて、津田さんと長谷川さんが、9万字以上にも及ぶ原稿の隅々まで丁寧に目を通して、「序文で、しょっぱなから情報を詰め込みすぎていてつまらない」「(漢字や言葉遣いが難しすぎて)アホは読みにくい」といった、率直なコメントをたくさんくれました。彼女たちのコメントは、まさにパブリックヒストリーとは何か、という問いに対する答えそのものでした。要するに読みやすい言葉で、読む人を惹きこむことが大切だというのです。そのことを教えてくれた彼女たちには感謝しています。

こうやって書き上げた『海をめぐる対話ハワイと日本』は、10月26日の日経新聞の書評に取り上げてもらいました。海の民の物語にはそれほど悲壮感がない、海を自由奔放に移動する彼らに、境界という観念がないからだろう、と、私が伝えたかったことをきちんと受け止めてもらえました。ただなぜか、情緒的な描写が少なく淡々としているとも評されました。もっとラテンの乗りで書けばよかったのかな。でも私は研究者ですから、仕方ないですね。
ともかく、地道に研究を重ねて本を著すというのは、まるで小さな砂粒を重ねて富士山をつくりあげるような作業です。そういう作業を含めて、教え子たちと一緒に現地を訪問して移民の追体験をして、人が動くと、その人が抱える文化もまた動くということを実感してきたわけです。

◆教え子からの一言
「ハワイは食べ物が単調で、コーヒーなどは、どれだけ砂糖が入っているのかと思う位甘くて、砂糖ジュースのような感じでした」(長谷川)
「山口では先生のお風呂が長すぎて、そのあと入った私は、もうお風呂時間は終わりです、と宿の人に言われて電気を消されてしまいました」(春山)
「先生のイメージは最初は怖いと思っていたのですが、実は恋愛話もしてくれるくらいフレンドリーで、今でもせんせー、って声をかけられる感じです」(西山)
「ハワイに一緒に行ったのですが、暖かくてバカンスの場所というイメージだったのに、いきなり寒い場所に連れて来られてびっくりしました。でも誰も見たことのないハワイに触れることができました。行く前は偏見もあったのかな。まだまだ知らない場所があると思いました」(長谷川)
「ハワイの文化と言えばフラダンスですが、日本でもよく踊ったりしています。でも実はこれはハワイの神聖な踊りで、神と対話をするためのものだということを知りました」(津田)
「こうした体験を通じて旅行や歴史に興味を持つことができました」(津田)
「日本人というのは歴史に興味ない人が多いと思います。自分も中高生の時の勉強として聞いたことはあっても、自分のものにはなっていません。でも体験をすると身につきます」(西山)
「山口県には観光地も多く、エンゼルロードと言う恋人たちが歩く道もあります。でもこの旅では先生と一緒に渡りました。」(春山)
「取材の中でいろんな人に会いました。ハワイではみなさん英語をしゃべるのですが、(言葉の壁にもかかわらず)会う人がみんないい人でした」(津田)
「先生にごちそうしてもらった山口のお寿司はこれまで食べたことがないくらいネタが大きくて、先生太っ腹って思いました」(西山)
「先生は、最初は(教室の通路に置いてある)鞄を蹴飛ばして歩くようなイメージでしたが、人間的な面も見られて距離を近く感じることができました」(春山)
「先生のお手伝いを通して、本を書くのは何年もかかる大変な作業だということが分かりました。」(長谷川)
「(ナーバスになっているのを見て)先生、本気なんやな、って思いました。」(津田)

◆最後に先生から一言
私は立命館に来る前に下関市にある水産庁の大学にいたのですが、学生と教員の距離の取り方が立命館とは真逆でした。水産大学校の乗船実習では、教員と学生たちが同じ船に乗って、食事もお風呂もすべて一緒で、それこそお互い、丸裸の付き合いをする。その海のカルチャーを立命館に持ち込んで、実践したのがこの取組みだった気がします。何年もかけて、学生を巻き込んで研究をしたことが、この本の誕生につながりました。
本を書くのは本当に大変で、時々精神的にものすごく不安定になります。そういう姿を、一緒にフィールドワークをしたり原稿の編集を手伝ってくれたりした4人にも見せてきました。ずいぶん迷惑もかけたと思います。ぶつかったこともありました。でも私が「おかしく」なった時は、彼女たちが私を叱り飛ばしてくれました。そして今でも忘れられないのは、私の本を一番読んでほしかった父が、本の出版を待たずに病気で亡くなって間もなく、津田さんが父のためにお線香を持ってきてくれたことです。彼女の前で私、泣いたんです。この子達がいたから頑張れた。それこそ、マラソンの伴走者のように、本の出版までずっと一緒に走ってくれました。
この本の出版は私にとって、ゴールであり、また新たな出発点でもあります。実はもう、次の本の執筆を始めています。海の民に共通しているのは、移動するとてつもないパワーを持っていることです、かつてポリネシアやハワイの人々はカヌーに乗って海を越えて移動していました。こうした力は海の民の特性ともいえます。日本人もかつて台湾方面から海を渡って琉球諸島、そして日本列島にやってきた人たちをルーツに持っています。海を渡ってきたDNAがあるわけです。そういう側面も踏まえながら、これからは日本を太平洋の中で位置づけて見ていく研究をしたいと思っています。

海の民というテーマで、学生と共に一冊の本を作り上げていくというプロジェクトについて生の声を聞くことができました。小川先生、そして4人の学生のみなさん、ありがとうございました。
 ふらっとでは、こうしたトークイベントを店内で継続して開催しています。「この先生の話を聴きたい」などご要望もお寄せください。今後の開催予定は立命館生協のHPや、ふらっと店頭のポスターなど、ゼヒチェックしてください。ご来店、お待ちしています。