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2019.11.13

2019年10月24日(木)オープンブックカフェレポート

ニュース

今期初の取り組み、ブックカフェの先輩が本について語るオープンブックカフェが開催されました。参加者は11名。語り手は文学部4回生の中村倫大さん。「青年のための大江健三郎」をテーマにお話してくれました。

大江健三郎は難解だと言われますが、初期の作品は分かりやすいです。例えば『性的人間』ですが、これは性的エネルギーに突き動かされる人の生き方について書いた小説で、ロックな感じです。
その中の「セブンティーン」という小説は17歳の高校生が主人公ですが、のび太みたいな子で、家族から除かれ誕生日を一人で過ごすような、一人マスタベーションにふけるような子です。俺の一人称で物語は進みますが、キレッキレの文章で激しい文体です。形容詞や副詞を削ってシンプルに描いています。
主人公は「できすぎくん」のような子ですが、ある日、右翼の演説のサクラのバイトをします。その演説は意味不明で、怒号のような叫びばかりでしたが、主人公ななぜか感動します。叫び、これこそ自分の本性だと自覚し、右翼に入ります。ナチスの制服のような装いで、内向的だった性格が激しいものに変わっていきます。これには第2部があって、政治的な葛藤のなかで最後に少年は死ぬのですが、これは実在の事件をモデルにしたもので、どうしてもその時の社会状況的に2部が出版できず、今度の大江健三郎の全小説の中でようやく取り上げられた次第です。「天皇の首をちょん切る」というような菊のタブーにも触れていますが、ドイツなど海外では翻訳されて拡がっています。これは60年前の小説ですが、強いテロリストに変わっていく過程がとても現在的で、今の人が読んでも共感できそうです。「これ、俺じゃん」と。初期の短編はそんな普遍性があります。

芥川賞を取った『飼育』や『死者の驕り』はSF的に読めるところもあります。
「死者」という作品は、死者の様子を「濃褐色の池に濃褐色の身体をこすりつけあっている」と身体の状況を文章にしています。ブラックバイトの始まりのような、都市伝説をそのまま描いたような小説です。大学病院の死体洗いのバイトが突然出てくるわけです。現代でもブラックバイトはよく話題になっていますが、すごいタイムリーだと思います。予言性がとても高い。「セブンティーン」では、その頃はネットもないけれど、2チャンネルの存在が描かれています。『燃え上がる緑の木』はある宗教団体のとんでもないテロの様子がオウム登場の前に描かれています。
大江健三郎から影響を受けた作家達はたくさんいます。伊坂幸太郎や中村文則・・・。村上春樹の『1973年のピンビール』は、大江の『万延元年のフットボール』からつけたという説もあります。またエンタメ性の高さにも注目したいです。『ピンチランナー調書』は、父と息子の身体の入れ替わりを描いています。初期の作品はそんな分かりやすさがあります。
でも中期になると、例えば『同時代ゲーム』ですが、2ページでやめたくなるくらい読みにくいところがあります。でも筒井康隆は最高傑作と評しています。『個人的体験』は脳障害のある子どもが生まれてその逡巡を描いた作品ですが、その事実から逃れようと、アフリカに逃げようとしたり、セックスフレンドに逃げたり、子どもの医者と結託して殺そうともします。ダメな主人公のダメダメぶりが明らかになります。でも最後には父親になる決意をします。自分と息子の共生を考えていきます。それは簡単ではなくてつらい毎日でもありました。そういう家族の日常に注目して書いていくようになります。

大江健三郎は多くの作家からたくさんの影響を受けていて、例えばウィリアム・ブレイク(1757年生まれのイギリスの詩人)ですが、彼をかなり勉強しています。サルトル、ペエール・ラスカル、ディケンス、ダンテ、小林秀雄などなど。カントやヘーゲル、シェイクスピア、サリンジャーも読んでいます。大江はよく作品の中に本の引用をしますので、そこで影響を受けたであろう人たちが分かります。作家自身を語ることもあります。また大江には、コミカルに作品を描いていく力があります。未来への希望を書きとめる明るい作風でもあります。
大江の後期は、『チェンジリング』など完成度の高さを誇ります。でも変わったところは相変わらずで、女子高生に不倫を言い寄られる話や、別荘を爆破するなどの妄想も抱いています。2016年に立命館に来られたことがありましたが、お酒をバカみたいに飲んでいたツケなのか、ちょっと会話が噛み合わないところもありました。大江の作品に飲んだくれの主人公が多いのは実体験のせいでしょうか。
大江健三郎がなぜノーベル賞を取れたのか。現代社会の様子を関連させる作品の手腕かもしれません。先にノーバル賞を取った川端康成は、日本の美を書いて受賞しました。大江は日本らしさを振り払ったその対極の作風が評価されたようにも思えます。そしてノーベル賞受賞後、川端は「美しい日本の私」という講演会をしたのですが、大江は「あいまいな日本の私」という川端に対抗するような講演をしました。
大江はかなりのガリ勉タイプだったように思えます。古今東西のありとあらゆる作品を読んでいました。それが自身の文学達成のための役にたっていると思います。
『雨の木(レインツリー)を聴く女たち』は初めて大江が女性を描いた作品です。『静かな生活』も女子大生を主人公にした家族ものの連作短編集です。大江は不思議なことに自分は短編作家であると称しています。短編に大江の醍醐味があるということでは、僕が初期短編をお薦めする意図と重なっています。それと大江は世界を先取りしているケースがいくつもあります。セカイ系というか、そういうSF的作品も多いです。『治療塔』は21世紀後半、核戦争で汚染された地球から選ばれた人間が多くの人々を置き去りにしてロケットに乗って新しい地球へ行く物語です。新しい地球での若返って健康になるという「治療塔」や、新しい地球の選ばれた人々が古い地球を植民地にしようとするなどミステリ要素もあるSFに仕上がっています。オーウェルの『1984』と近い感覚もあります。P・K・ディックとはどうかな。

またなぜかアニメとの親和性もあります。村上春樹の『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』は壁の中に住む話ですが、大江も閉じこめられた死体の話や、閉じ込められた子どもたちのバトルの話もあります。『進撃の巨人』の世界観とも似通っています。今はやっているマンガの源流とも言えます。
大江健三郎の小説に書かれた世界は、現代と少しも変わっていません。拠りどころのない内向性など普遍性があります。
最後に、やはり大江健三郎は初期短編をぜひ手に取ってみてください。

参加者からたくさんの質問も出て、充実した時間となりました。
中村さん、ありがとうございました!