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2019.11.14

2019年11月12日(火)BKCオープンブックカフェレポート

ニュース

秋風の涼やかな日の夕方、リンクショップでオープンブックカフェが開催されました。
経済学部5回生の小林寛史さんが「外宇宙への冒険」と銘打って、星新一のエッセイについて語ってくれました。9人の方が参加してくれました。小林さんのお話は「ドーナツとコーヒー」から始まりました。

アメリカのドラマなどで刑事がドーナツとコーヒーをほおばっているのをよく見ます。日本でいうアンパンと牛乳ですね。そのコーヒーは砂糖が入っていると思いますか。入っていないと思いますか?「入っていません!!」そうですね。僕もそう思います。甘いドーナツを浸して食べるわけですからブラックコーヒーで味をマイルドにするのだと思います。
『きまぐれ暦』という本で、星新一は「飛鳥」について書いています。通「あすか」は「飛鳥」なのですが、東京でだけ「飛烏」(←トリではなくカラス)と書きます。それは東京で地名を決めるときに、お役人は鳥を烏(カラス)と間違えて一本ない字にしてしまったのが原因だそうです。

次に「満月」と「新月」について書いています。ヨーロッパでは満月は人が狼に変身するという言い伝えがあるように恐れられています。日本では満月は美しいと思われていますし、藤原道長の歌「この世をわが世とぞ思ふ望月のかけたることをなしと思へば」でもわかるように満ち足りた人生のたとえにもなっています。この違いは暦が関係していると思います。
ヨーロッパは太陽歴で、月のことは考えもしていません。日本は太陰暦で月の満ち欠けで時間が流れていきます。またキリスト教のお国柄なので、キリスト教は「普遍」こそ真理としています。つまり月のように新月、三日月、満月と変わるものは不吉とされて好まれません。東から西へ動く太陽を元に文化が育まれているわけです。
でも土地が変わるとまた変わります。中東の砂漠地帯では、太陽のように輝いていると女性を褒めたら怒られます。月のように涼しげな風貌をしているというと褒めたことになります。
『進化した猿たち』というエッセイでは、アメリカの一コママンガ。つまり諷刺画ですね。
それを集められるだけ集めています。無人島に流れ着いた男は煙草をたくさん持っているのですが、マッチはたった1本だけ。煙草があるのに吸えない。または1本つけたらチェーンのように煙草で火を移して吸い続けないといけない。そんなシュールな様子が描かれています。また無人島に流れ着いた男の元に魔法のランプの魔人が現れて望みをなんでも叶えると言いますが、何をもらっても無人島では役に立たない。たった一つここから出るのが望みだと言っても、それだけはダメと断られるブラックジョークです。
精神的トラウマの女性への治療をする作品や、精神病院の三人、自分がナポレオンと思い込んでいる男、教皇と思い込んでいる男、自分が神様だと思い込んでる男が出てくる作品も元ネタはアメリカから来ているというのがこれを読むとわかります。
『マイ国家』というショートショートは、ある営業マンがある家を訪ねたら、マイ国家の領土侵犯として捉えられるというお話です。マイ国家の主人がどこかおかしいとは思うのですが、ようやく逃げ出した営業マンも自分の団地の部屋をテリトリーとしてマイ国家を名乗ってしまうのです。

芦田愛菜の本好きは有名で、風俗から古典まで話せると豪語しています。そんな愛菜ちゃんが著書『愛菜の本棚』で星新一を読んでいて、いちばん好きなのは『声の網』と言っています。
『声の網』は、糸電話を張り巡らせてどこともフリートークが出来る社会を書いています。
今でいうメールやSNSの世界ですね。また『ナンバークラブ』という作品は、おっさんが秘密クラブに行って酒を飲むのですが、そこでは自分のマイナンバーを入れると趣味が合う人を機械が選び出してくれて出会えてコミュニケーションが取れるというお話です。今でいうミクシィや婚活サイトですね。SFというのは空想の産物ですが、未来の予測さえします。
『ジョーカー・ゲーム』の柳広司は、自分が30代までに読んだ本の中でお薦めとしてジョージ・オーウェルの『動物農場』を挙げています。人に使われる動物たちが劣悪な農場主を追い出して理想的な農園を作ろうとしますが、指導者の豚が独裁者となり恐怖政治と化していく様子を描きます。動物たちは、二本足で歩くようになった豚を見て人間と変わらないと揶揄するのです。
星新一は製薬会社の御曹司だったのですが、高利貸しにお金を借りて会社を手放すはめになって、どうでもいいやと言うことで作品を書いたらしいです。
ショートショートのお薦めは『ボッコちゃん』です。圧倒的な面白さです。『未来いそっぷ』はイソップ童話をモチーフに寓話的な結果を作品に持ち込んでいます。新鮮味、新しさがあります。これは大金をあらわすのに30億とか言わずに、「目もくらむような」とか「両手で抱えきれないほどの」という表現を用いて、時代を感じさせないようにしています。最後にあっと言わす手腕もすごいですね。
『明治の人物誌』は製薬会社の社長だった星新一と父親の交遊録です。野口英世や伊藤博文などそうそうたる人物が出てきます。

SFというのは、人間は好きだけれど人類はキライ的なところがあります。ウェルズの『タイムマシン』もディストピアもので、人類の悪いところを表現しています。
あるとき星新一が新幹線に乗って、腕を骨折した少年に乗り合わせます。好奇心をそそられた星は少年に聞き込みをします。腕を折った原因が階段から落ちたからだとわかります。よくよく聞くと、お母さんは、シングルマザーで女医さん、忙しく働いています。この少年は勉強好きな小学5年生です。一人息子でプレッシャーもあって、眠くて階段も落ちたのかなと思いめぐらします。そして本を読まないという彼に、自作本にサインして大阪のおじいちゃんのところで読んでみてね、と渡すのです。エッセイとはこんな日常の経験を知ることができます。『午後の恐竜』は原子力潜水艦の館長が馬鹿になって、砲弾を撃ちまくるという小説です。科学が発展しても人間の生活スタイルは変わらない、という冷めた視点を感じます。人間不信ともとれるその思考は、戦後の混乱期にちゃらんぽらんに生きたという人生観から来るのかもしれません。
このオープンブックフェアは、衣笠、OICと来て今日がBKCです。今後後輩たちが続いてくれたらと思います。
まとめるとエッセイというのは、読むと本の世界だけでなくその人柄や生活、日常の出来事など面白がれる内容がたくさんあります。作家たる文章の達人が文字で描く日常描写は見事です。一度手に取ってみてください。

小林さんの発表を聞いて触発された理工学部5回生の松下良さんが飛び入りで、本の紹介をしてくれました。

岩波書店から出ている『ポピュリズムとは何か』という本がありますが、端的にポピュリズムがわかる小説を紹介したいと思います。ポピュリズムの定義ですが、「真の人民を作りだす」ことです。
村上龍の『愛と幻想のファシズム』は映画広告の仕事をしている男と狩猟を生業に生きている男が出てきます。映画の男が狩猟の男に聞きます。「今の日本はどうだ」。狩猟の彼は答えます。「日本はダメだ。弱いやつが、農民しかなれないようなやつが上に立っている。強いやつが上に立って日本を変えないとだめだ」。正しい、正義を守る強い日本のために彼らは広告を打ちます。これだという決めつけた正義です。さて人民はどないやねん?という物語です。
もう一つは、古谷田奈月の『リリース』です。SFなのですが、ここは同性婚が認められた社会です。あるとき異性婚は時代遅れと決めつけて、同性婚を煽るために嘘の情報を流します。リベラルファシズムですね。主人公の女は真実しか載せないサイトに行きついて読みますが、周りの友人たちはそんなものと受け入れません。宣伝の打ち方がとても重くてポピュリズムの答えを示す中身になっています。

来てくれたみなさん。ありがとうございました。次はあなたが語ってみませんか。