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2022.06.09

『子ども・若者ケアラーの声からはじまる』出版記念トークイベント 開催報告

書籍

『子ども・若者ケアラーの声からはじまる』出版記念トークイベントレポート

5月12日(木)16:30開始
立命館大学産業社会学部教授斎藤真緒先生と、スピーカーとして3人の学生さん、河西優さん(社会学研究科修士3回生)、平井登威さん(関西大学社会安全学部3回生)、湯谷菜王子さん(社会学研究科修士3回生)にご登壇いただきました。
ふらっと店内での対面とオンラインのハイブリッド開催です。全国から70人の申し込みがあり、ふらっとには15人、オンラインでは40人の方が参加されました。また、報道の取材もあり「ヤングケアラー」は社会的に大きな関心を寄せられています。

本日の司会進行をされる斎藤真緒先生より本の紹介です。

この本の編者であるユーサービス協会では、事例検討会で当事者の経験を聞いて当事者の方たち自身に執筆していただきました。
本人の声を聞いてそこから何ができるか?を大事にしています。
私たちは「子ども・若者ケアラー」という言葉を使っています。
今、ヤングケアラーはブームで社会的政治的に関心が集まっています。
ヤングケアラー支援法ができるかもしれない。
大学で何ができるか考えていきたいです。

ヤングケアラーって何だろう?

事例検討会を続ける中で、子ども若者ケアラーには固有の課題があると気づきました。
ケアにはいろいろあります。精神疾患、障害のある兄弟、外国にルーツのある家族、等々。
介護者というと高齢者介護にイメージが引っ張られてしまう。
ケアラーという言葉を使って、家族の中には様々なケアがあることに光を当てる。
子ども若者が担っている様々なケアについて社会に知ってもらう必要がある。
いま、ヤングケアラーという言葉が広く社会に知られるようになって良いことだなと思ってます。

国も調査

中学生5.7%、小学校6年生で6.5%、そのうち半分近くが就学前か低学年からケアをしている実態。
大学生では、今はしていなくても過去にしていた人を加えると10%を超える。
そして、家族の中であたりまえにやっていて、自分のことをヤングケアラーと思っていない。

どこからがヤングケアラーか?お手伝いとの違いは?

他の行動と両立できなくなっている。例えば、友達と遊べないとか。
保護者が見守りをしてくれているかどうか?
今日はしたくないNoの選択肢が保証されているか、が重要です。
あなたがそれをやらなかったら家がどうなるか?
洗い物がたまる、洗濯物がたまる、子どもがあばれてリビングがぐちゃぐちゃになるになるとか
あなたがやらないことで日常が回らないことになっている。それはヤングケアラーです。

自分のニーズがわからない

子どもの時からあたりまえのようにケアをしてきた生活は、ケアがない生活を知らないし想像ができない。ほかの人の話を聞く中で自分の立ち位置を知ることが大事です。
そして、当事者の声が社会に届くことが大事です。

スピーカーの3人にご自身の経験を語ってもらいました。

親が精神疾患を抱えていて、小学生のころから情緒的ケアを担ってきたケアラー当事者としてのお話、ケアラーではないけれど家庭の中であたりまえにケアがある中で生活してきた経験について。
※ヤングケアラー自身の経験や思い等、リアルな声については、『子ども若者ケアラーの声からはじまる ヤングケアラー支援の課題』をぜひお読みください。

ケアのグラデーション

同じケアラーでもしていることや相談先が全然違うし負担に思う人と思わない人がいます。いろんな感じ方があります。自分自身がケアラーではなくても、家庭の中でケアがあれば、その経験はケアのグラデーションを理解するうえで必要です。親ケアラーからみて兄弟をケアに巻き込まないようにと思っている親が一定います。今何をしているかだけではなく、ケアとともに生活をすることで自分自身の生活に何らかの影響があります。誰が支援の対象かだけではなく、ケアと隣り合わせで生活するとはどういうことか、ケアとともに長く生きることに伴ってどんなことが起こるのかを丁寧に理解していくことが必要かなと思っています。

ヤングケアラーの定義は18歳未満だけれど...

国の定義は、大人がする家事や家族の世話を18歳未満の子どもがしている場合としています。18未満は児童福祉法の支援の範囲内。しかし、18歳以降は進路選択等で自分自身にとってすごく大事なライフステージです。18歳以降をどう考えるか、地続きで考えることが必要ではないでしょうか。

スピーカーへの質問:ヤングケアラーを知ったときにどんなことを思ったか、自分がヤングケアラーだという目線で過去の自分をどう思ったか?

ヤングケアラー=介護、家事と思っていて、自分はヤングケアラーと言っていいのだろうかと思っていました。同じように悩んでいる人がたくさんいます。今は「精神疾患の家族の情緒的ケアをしているのはヤングケアラーだ」と発信しています。ヤングケアラーという言葉を知って自分を振り返ってみると、よく頑張ったなと思います。整理がついてから過去を悩むことは減ったけれど、一方でトラウマがあり、大人の男性が怖い、どなってる人を見ると苦しくなったり、人間関係苦手だから自分言いたいことをうまく言えなくていいように使われてしまうところがある。が、最近、いままでの経験をプラスととらえるかマイナスととらえるかは自分次第、やっとそう思えるようになってきた。
いい経験だよ、という人はいるけれど、人それぞれだし、本人の声を無視して関わっていくことって有難迷惑だったりします。真ん中に本人の声を置かないと。

ヤングケアラーを知ったきっかけの本。大学3年卒論、渋谷先生の『ヤングケアラー』を読んでるとき、事例が自分の経験と思いに重なった。
ヤングケアラーを知って、家族以外のほかの人とつながるきっかけになった。

参加者からも共感の声
私も、澁谷先生の中公新書「ヤングケアラー」を読んで、私自身がケアラーだったんだと自覚しました。澁谷先生には申し訳ないですが、最初の1章目の澁谷先生による概要説明では、完全に「他人事」でした。読み進めて行って、当事者の語りになったとたん、魂が揺さぶられました。「過去の私だ」と。改めて、当事者の語りの持つパワーを感じました。

大学生ケアラー固有の悩みについて、共通して口にする言葉「罪悪感」

ケアを引き受けて生きていくなかで、18歳以降自分自身の人生を切り開いていくとき衝突が大きくある。こんなチョイスをしてよいのだろうかという罪悪感。国の調査でも、進路就職で大きな悩みがあることが明らかになりました。それがどんなものなのか、どうやったらケアラー自身が自分の人生を生きていけるのか大事なテーマです。

スピーカーへの質問:何が気がかりでどんな不安がありますか?

今までは情緒面だけだったけど、これからは経済面で支えないといけないのかな。そして将来、親の介護が必要になって施設にいれることになったら罪悪感を感じると思う。
お金の不安と、親といい関係を築けずに終わってしまうだろうという不安。
整理がついたからと言って自分の人生を生きていけるのだろうか。

今、母を支えている人達(家族)が絶妙なバランスで役割分担しているがいつどうなるかわからない。漠然とした不安、家全体がどうなるのか。自分の人間関係、メンタルヘルスの問題。性格に影響しているんじゃないか、人が不機嫌にしていると自分のせいではないかと思ってしまう。母の機嫌を伺っていたからかなと思ってしまう。

発達障害の弟は一生支援機関とつながっていけると思うけど、障がい者支援にありがちな知的発達に障がいがある人への無意識の差別があるのではないか。弟は敏感に感じ取っている。安心して支援を受けられない気持ちがある。自分自身で精いっぱいなのに助けることができるのだろうか。

会場からの声
大学生ケアラーの特徴として罪悪感があるという話だったが、この罪悪感について世間一般の常識(親孝行など)との板挟みがあるのではないでしょうか。自分も幼いころから家族が毎日喧嘩をしていたためか自分の人生に対して興味がなくなり、昨年にとうとう、鬱状態になり、今も治療中です。そこで自分を大切にしようと思ったのですが、家族から「親不孝だ」と言われ続け、苦しんでいます。この自分の人生を大切にしたいという思いと、親に感謝しないといけないという道徳との板挟みはどのように乗り越えていけばいいのでしょうか。

後日、斉藤真緒先生からお返事をいただきました。
私たちの社会に充満している家族愛規範は、私たちの中にも知らず知らずのうちに刷り込まれてしまっています。道徳教育は、それを補完する役割を果たしています。たとえば、スウェーデンでは、家族だからといって一緒がベストとは限らない、離れてもいい、というメッセージを、学校教育で子どもたちに伝えています。
誰かの自己犠牲によってしか成立しないケアのしくみはとても脆弱です。
こうした仕組みを変えていくためには、家族固有のケアの根深い葛藤、私たちの内なる家族愛の、「脱神話化」が必要です。
自分の人生を生きてもいい、それはわがままではないよ、と言ってくれる周囲の理解が広がることも、選択肢を広げる条件だと思います。

ケアと経済面での不安がセット

家族の規模が小さくなってきていて世帯収入が減っている。家族が全員何らかの形で稼いでいる。大学生はほとんどがアルバイトしている。突然発生したケアに空いてる人が関わらないといけない。ケアだけでなくお金の面でも追い詰められている。

全国調査アンケートから紹介 「あきらめたこと」
義務教育から部活や勉強時間確保が他の子が当たり前にできることができない状態でありそれを先生が理解してくれない。生きるのに精いっぱいなのに成績だけで頑張っていないと思われる辛さをわかってほしい。
何気ない会話の中で、経済的な問題がゆえに傷つくことが多い。修学旅行費をアルバイトで稼ぎ、大学受験の前は入学費のためにアルバイトを掛け持ちして働いた。模試の費用が足りず受けなくて、理解のない先生からチャレンジ精神がないといわれ悔しかった。書ききれないほど普通の学生生活が送れないことを理解してほしい。ここまで頑張ったのに大学生になれても就職後の多額の奨学金の返済や今後の経済的な問題から、留学などたくさんの挑戦の機会を手放さないといけない。精神的に自分を追い詰めてしまうことも多くどうあがいても困難ばかりでマイナスからゼロになるまでが遠すぎる。周りの人よりも普通を手に入れることが難しい。

会場から質問:ヤングケアラーの経験を持っています。経験を語るにも言う怖さや表現方法がわからないということがあると思いますが、経験を語る過程での自分の変化は?

はじめは聞くことが多かったが、いろんなところで語ることが多くなった。整理してもう大丈夫だろうと思っていても、0になることはない。その時のコンディションにもよる。
自分から離れていく感覚、時系列で整理されて、感情が伴わずに淡々と語れるようになっている。

その時々で感じ方が違う。語る中で離れていく感覚、救われてると思う。話せる場が必要だなと思う。

会場から質問:ヤングケアラーや子ども若者ケアラーという一つの分類として捉えることにどんな意味がありますか?

「ヤングケアラー」「子ども若者ケアラー」というキーワードを通してなにかとつながるきっかけになる。違いはあるけど共通するところはある。家族という見えない箱の中の経験から、個人の責任にされているものを社会の構造から生まれたものとして提起できる

大きくヤングケアラーという言葉でまとめることで広くて数がいっぱいいると認識されるので啓発的に意味がある。自分もそうかもしれないと思って救われる人、自分事としてとらえてくれる人がいるかもしれない。でも、支援というと相性が良くない。例えば、発達障害、精神疾患等によってニーズに違いがある。啓発と支援の違いをうまく分ける必要がある。
ケアはだれもがする可能性がある。情緒的ケアも、親の介護、子どもの事故によるケア...。ケアは何処にもつながる言葉。ヤングケアラーという言葉が広がることで、ケアとかケアラーに焦点が当たらないとヤングケアラーの問題も解決しないと思う。

子ども若者というライフステージ固有の課題を明らかに、そしていろんなケアラーを横につなぐ

子ども若者らしい経験やケアされるべき存在自身が、ケアをすることによって起こっている世代固有の悩みを明らかにするという意味ではこのライフステージ特有の課題があります。
自分自身の人生の土台作りがままならなくなる可能性があります。
18歳以降も含めて自分自身の人生の土台の脆弱性を引きずらないといけない。場合によってはその脆弱性が累積したり広がったりしていく可能性がある。

今の日本の社会は、障害は障害、高齢は高齢、児童が児童、制度設計が縦割りで、ケアラーの団体も縦割りできた。それではダメで、ケアラー自身が横につながって、共通は何だろう、違いは何だろうと、ケアラー自身が学んでいく必要がある。全世代で多様なケアに関わるケアラーたちを横につなごうと、ケアラーの団体をつなぐ京都ケアラーネットを立ち上げました。 
子ども若者ケアラー、男性介護者、認知症、家族の会、障害いろんなケアラーが初めて全国でつながって、お互いを学びあい、すべてのケアラーを支えていこうという発想です。

『男が介護する』産業社会学部教授 津止正敏先生の本 家族を介護する夫や息子などはすでに100万人を突破。ケアの実態を明らかにし、介護者が集う各地のコミュニティの活動を紹介する。

スピーカーへの質問:大学やその他学校であったら良かった/良い支援はありますか?

・お金の面でのサポート。奨学金。

・就活キャリアセンターでのケアラーへの理解と、ケアラーへの寛容な会社の紹介をしてほしい

・大学では、家族の中とは違う自分でいたいが、すこしは家庭のこともお互いに言い合える雰囲気になるといいな、授業でケアラーの話が出たり、増えてほしい

・社会福祉士の課程で教えられるのは、利用者のことを大事に、被支援側はとても丁寧に教えられるけど、支援者側のメンタル面とか何もない。家族全体を見て、支援者側への支援も必要ではないか。
授業配慮公欠扱い、授業の枠組みでできること、レポート課題締め切りとかまだまだできることがある

参加者の感想より
・若者ケアラーだったころ、私は「認められたい」と思っていました。
祖父母の介護をすることを、大学の友達がインターンやアルバイトをしたり、旅行に出かけることと同等に、意味あることとして自分の人生に位置づけたいともがいていたのです。
友だちや先生、進路指導室の方などに、「介護をしていることは無駄ではないよ」という態度をとってもらえたら、それだけで安心したと思います。

・まず「若者ケアラー」がいることを学校側が把握すること、そしてそれに伴う止むを得ない欠席・遅刻についても理解を示すことが必要なのではないかと思います。学校側が実際にケアを支えることはできないが、学業支援と並行して若者が1人で抱え込まないため支援(定期的なカウンセリング、相談場所の紹介、当事者同士で話し合う機会の提供など)ができれば良いのではないかと考えた。

・澁谷先生の「ヤングケアラーってなんだろう」の第4章でスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの働きについて説明されてました。学校の先生だけでなく、このような専門職との連携が不可欠だと思いました。

命が大切にされる社会にむけて

ケア負担...ケアが負担としてしか評価されない報道がされています。ケアが大切に、命が大切にされる社会について高等教育機関が考えていく必要があります。

他にも多くの質問が寄せられました。

草の根の活動紹介

【YCARP】
https://y-carp.wixsite.com/my-site

【いろはのなかまたち】
http://ys-kyoto.org/service/youngcarer-gathering/

【COCOTELI】
https://cocoteli.com/

寄せられた感想

・当事者の実体験について多く触れられた点はとても良かった。

・世間で言われている「ヤングケアラー」より、実際はもっとグラデーションがあるんだと知る良い機会になりました。

・支援をする人の支援は誰がするのか。結局は自己解決に頼ることになってしまうのかもしれないけど自助グループやこのような会で他の人の体験を知ることで、一瞬でも救われる人がいると思います。

・「ヤングケアラー」という言葉をきっかけに、課題や支援に出会える人がもっと増えるといいなと思います。

・自分もきょうだい児なので、話の内容に共感することが多かった。また、そのような人だけでなく、ケアラーについて知りたい人の参加も多い印象だったが、先生、ゼミ生さんそれぞれとても丁寧なお話でよかったと思う。

・このように、ケアラーについて認知する機会を一般の人にも増やしていくとともに、意外と身近な社会問題であることが分かるデータ等を自然と目にすることが増えればケアラーの負担が減ると思う。
また、私にとってはケアラー?の生活も普通だし、障がい者である前に家族なので、過剰な特別扱いや疎外化することへは疑問がある。

・自分も今日のスピーカーのような経験をしており、自分以外にもそういう経験があるのかと思い、気が楽になったことは良かった。また、ケアラー家族の視点も知ることができたのも良かった。

・当事者の話を聞き、リアルな若者ケアラーの実情を知ることができてよかった。また、若者ケアラーひとつ見ても、疾患や障害の重症度やそれを抱える人物との関係性などによって全然違うということも理解でき、「誰にも頼ることができない状態」を作らないよう社会における理解や学校側の体制づくりが重要だと感じました。

『ヤングケアラーを考える』ブックフェア

ふらっとでは、このイベントに合わせてをブックフェアを開催しています。登壇された斎藤真緒先生と河西さんに選書していただきました。

精神障がいやこころの不調、発達障がいをかかえた親とその子どもを応援しているNPO法人ぷるすあるはの絵本も紹介していただきました。

NPO法人ぷるすあるは(pulusualuha.or.jp

家族のこころの病気を子どもに伝える絵本(全4巻)
1巻 ボクのせいかも・・・
2巻 お母さんどうしちゃったの・・・
3巻 お母さんは静養中
4巻 ボクのことわすれちゃったの?

立命館生協では、本の出版記念や研究テーマに合わせた本の紹介、ブックフェア等々、書籍店舗でのイベントやブック企画を歓迎しております。書籍店舗から情報発信してみたいという方は、お気軽にご相談ください。
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