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Peace Now 沖縄2010


1日目

 今の沖縄を肌で感じてほしいということで北谷町美浜に行きました。そこはちゃんぷるー文化(日本・沖縄・アメリカ)と呼ばれる沖縄の異文化を感じられ、外国人の多さや外国人と沖縄人・本州人が共存して楽しんでいる様子、戦争がもたらした影響など沖縄とはどのようなところなのか、沖縄戦開始までの経緯について学びました。
 また戦後基地を利用して発展したということから基地についてどう考えるかきっかけになり、学習内容への関心を深めました。

 北谷(チャタン)はアメリカ風のショッピングモール!かわいいアメリカ雑貨がいっぱいです!

 

2日目

 この日は沖縄戦中を知って考えよう、ということで午前中に元女子学徒隊だった方に当時のお話を聞きました。
 沖縄戦当時は自分たちと同じ学生だった人たちがどのようなことを想って戦争に臨んでいたのかを知りました。
 午後は班ごとに分かれてガマと呼ばれる洞窟に行きました。そこは暗く静かで狭く、とても人が暮らせるところではありませんでした。しかし沖縄戦当時は避難場所であり、病院でもあった場所で、何ヶ月もその中で暮らしていた人がたくさんいました。
 その後沖縄戦最後の地、摩文仁の平和祈念資料館に行きました。この地でも多くの人が亡くなっていて、「自殺の丘」と呼ばれる崖を見ました。
 すぐ近くにある資料館の中には、約2メートル四方のガラス板の上から埋まったままの不発弾を見ることができ、当時の爆撃のすさまじさを知ることができました。

 沖縄平和資料館には、戦前から戦後までの資料や遺品がありました。B29の右翼も展示されていました。

 

3日目

 今、全国のメディアで大きく取りざたされている普天間飛行場。普天間飛行場を佐真下公園と沖縄国際大学の2ヶ所を見ていきました。
 普天間基地は海兵隊の基地で、周辺には道路一本を挟んで住宅街があり、学校が周囲に18校あります。さらに、病院や児童センター、博物館やイベント会場など人がたくさん集まるものが多数存在しています。その上を常に航空機が飛んでいて万が一の時には取り返しがつかないことになると思いました。

 普天間基地はフェンス1枚で区切られています!

 

4日目

 フィールドワークで「住民が体験した沖縄戦」という視点から実際に、ある一人の住民の逃げたルートを歩いて沖縄戦を追体験するという企画に参加しました。当日は天候が悪かったため予定していた距離の約半分しか歩けませんでしたが、歩いてみて常に雨のように降り続く砲撃の中を、荷物や家族を連れ逃避することを考えたらいつ死ぬかわからない恐怖と、食料もなく助かるかも分からないながらも生きる希望を絶やさずにいたことは想像できないほど大変だったであろうと感じました。

 

最終日

 最終日は今まで沖縄戦について学んできて、初日の時と比べて沖縄についてどのようにイメージが変わったか、今度どのように平和活動をするのかについて話し合いました。沖縄は基地移設問題など早期解決を騒がれていますが、地域と密接に関わっていることを知り、簡単に解決できない問題だと感じました。

 全国の大学から参加した方々とのグループワークで平和に対する考えを深めることができました。

 

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